デフォルメという考え方
クラシックギターを長く学んでいると、
「音は外していない。」
「リズムも正確。」
「でも何か伝わらない。」
そんな壁にぶつかります。
実はこの段階では、技術不足よりも伝える力が不足している場合がほとんどです。
上級者は正しく弾いているだけではありません。楽譜や資料から得た情報を整理して音楽に変換しています。
その変換(譜面や資料を音に変えること)のフィルターとして演奏家は機能しているので、同じ譜面と情報を参照したとしても演奏家それぞれに個性が生まれるのです。
その個性こそが音楽を伝える力そのものなのだと考えます。
演奏には”優先順位”がある
人は一度に全てを聴き取ることはできません。
なので演奏者が「今は何を聴いてほしいのか」を決める必要があります。
例えば、メロディを聴かせたいのか、ベースラインを歌わせたいのか、和声の変化を感じさせたいのか、リズムの推進力を出したいのかなど等。
この優先順位が曖昧になると、全て頑張って弾いているのに何も印象に残らない演奏になります。
何が起こっているのかというと、すべてが均一になってしまい距離感や陰影、濃淡などが表現できないのです。
これを解消するための一つの考え方として、最優先したい要素以外をデフォルメするようなイメージを持つことです。すべての要素が完璧なままだと聞いている人の耳には届いても心には届きにくいものです。
というのも、演奏を聴いている方たちは譜面を持っていないのです。
もし譜面を持っているのであれば視覚的な情報も入ってくるため、奏者の思考に追いつくことも容易になるかと思います。しかしそのような演奏の機会はほとんど無いと言えます。
その点を忘れてしまうと独りよがりな演奏になってしまいがちです。
譜面を持っていない、見たことがない曲を聴いている人たちに向けて、音楽を伝えていることを意識しましょう。
声部ごとの役割を理解する
クラシックギターは一人で完結できる楽器です。
つまり、すべての音を同じように弾いてはいけません。それぞれの音に異なった役割や性格を持っているためです。
主旋律
主に歌わせることの多い声部。音色、音量ともに最も変化させることが望まれますが、その旋律が器楽的なのか声楽的なのかの判断には最大限注意を払ってください。
旋律に導かれるような音楽なのか、それとも和声やリズムから湧いてきたような旋律なのかにも意識を向けてみましょう。
内声
和声の補完や対旋律などを担当することの多い声部。
縦での意識も大切ですが、一音一音の連結にも注意して内声の中にも差をつけることが重要です。
内声は必要以上に主張する必要はありませんが、存在感が無くなると音楽が薄くなります。その原因として挙げられるのがやはり均一すぎる事だと思います。
和声的なものであれば導音や限定進行音などが含まれていればその声部をしっかりとスクープし、ほかの声部を少しだけカット(デフォルメ)してやる、旋律的な要素が含まれていれば非和声音の扱い方に注意するなど細やかな操作が必要です。
ベース
単なる低音ではありません。音楽の重心です。ベースが独立すると演奏全体に安心感が生まれます。
ベースの上に和声が広がり、その上に旋律が重なっているのです。文字通り土台として機能しています。
特に注意したいのはアルペジオで、内声部と同じように弾いてしまうと内声に要素が吸われてしまい途端にベースが消えたように感じてしまいます。右手のタッチに最大限注意して、自分の耳をしっかり使ってバランスを整えてください。
最低限この三つの要素を常に意識し、どの声部をスクープし、どこをデフォルメするのかを明確に操作することが大切です。
ダイナミクスは音量ではない
多くの人が
強く=フォルテ
弱く=ピアノ
と考えているでしょう。
しかし実際は違います。
実際はフォルテに聞こえる音、ピアノに聞こえる音です。
ここでのデフォルメは音量を錯覚させるための管理です。ギターにおいて単純なデシベル的な音量コントロールのみで空間を演出することは不可能だと言い切れます。そのため音量の概念自体をデフォルメしてしまうイメージです。
フォルテの際に敢えてノイズ成分を多めに出してドライブ感を演出する、ピアノの際には抜けのいい音や敢えて細い音を使用するなど、右手での発音操作、サスティーンを確保するための左手でのヴィブラート操作に注意しましょう。
緊張と解放を設計する
音楽は緊張→解放の繰り返しとも言えます。
例えば、属和音、増音程、転調、クレッシェンド、多くの場合の高音域への上行、半終止、カデンツの繰り返し等これらは自然と緊張感を持っています。
逆に、主和音、完全終止などは解放です。
例に挙げたものでは緊張を演出する要素の方が多いですね。言い換えると、音楽は緊張感の高まり方の設計にバリエーションを持たせているとも言えます。緊張感一つをとってもそれぞれにどのような緊張感が適切なのかを選択することが大切です。
表現として直線的なのか、指数関数的なのか、それとも既に飽和しているのか等多くの引き出しを持つことが必要です。
これらの要素を無視して均一に弾くと、音楽が平坦になります。退屈とも言えます。
それでは音楽にプロローグやクライマックス、エピローグを演出できないのです。
それらはすでに楽譜に書いてあることなだけに、非常にもったいないです。
逆に、緊張感をどのように増大、変化させて、どのように開放するのかの意識を持つだけで、
音楽の持つストーリー性の説得力は一気に増します。
表現における”原因”と”結果”
突然フォルテになる。これは理由がありません。無秩序で暴力的ですらあります。(そういった表現が必要な事ももちろんあります。)
しかしクレッシェンドを積み重ねた結果フォルテになる。和声的な緊張を抑え続けた結果のエネルギーの放出の演出のためのフォルテ。これらは自然です。
同じように突然テンポを落とすのではなく音楽が自然と落ち着いた結果としてテンポが緩む、
逆に緊張感が高まり続けた結果音楽の質量が増大した結果テンポが落ちる。これらも自然です。
この様に原因(きっかけ)→結果を常に意識すると、演奏に説得力が生まれます。
今までの流れを変えてしまうような大きな変化を伴う表現には、常に理由が必要です。
聴いている人に何故この表現を選択したのかが伝わらなければそれは音楽の流れ(時間のながれ)
を阻害する障害物でしかありません。
聴いている人にも納得感を感じてもらう必要があるのです。
それは瞬間的に生じるものではなく、その表現が必要な箇所の前(過去)から少しずつ準備を必要とします。
「さっきの執拗なまでのピアニッシモはこの為だったのか」
「今ここでのグルーブ感を増すための執拗なインテンポキープだったのか」
のように納得感を感じてもらうことによって表現に説得力を持たせるのです。
一音単位ではなく文章で考える
言葉や詩にも句読点、アクセント、リズム、語尾によるニュアンスの変化などがあります。
音楽も同じです。一音ずつ弾くのではなく大きなフレーズとして考えます。
詩には文節ごとのまとまり、例えば4行×2ブロックなど多くのフォームがあります。
4行のうちその前半の二行では疑問形、後半二行で応答等無限に組み合わせが考えられますが、それによってフレーズとしてどのような起伏が生まれているのかを考えてみましょう。
パンチラインの部分とそうでない部分に詩としての強弱があることにも留意。
音楽では例えば8小節あるならその8小節全体が一つのフレーズなのか、4+4なのか、2+2+4なのか、
更に分けられたフレーズそれぞれのキャラクター(終止の種類、和声的なのか、旋律的なのか、リズミカルなのか等)にも目を向けましょう。
その中で、要素が音楽におけるパンチラインになっているかをしっかり観察しましょう。
ここでもパンチライン以外をデフォルメしてパンチラインを浮き立たせるような効果が得られれば最高です。
このように1フレーズ(1つのまとまり)の中にどのようなニュアンスが組み合わされているのかを意識すると演奏は大きく変わります。
まとめ
「どう弾くか」ではなく「なぜ弾くか」
以前の記事でも触れましたが、奏法や表現そのものに正解はありません。アポヤンドもアルアイレもビブラートもラスゲアードも全ては目的のための手段です。重要なのは「この音をどう弾くか」ではなく「なぜその弾き方(表現)を選ぶのか」ということです。表現の意思があるから技術が生きます。逆に意思が無ければ、どれだけ高度な技術も音楽として成立させられずに自己満足で終わってしまいます。
上級者になるほど、求めていることは技術ではありません。「今、何を聴かせたいか」「どこへ向かっているのか」「どこで緊張し、どこで解放するのか」「どの声部を歌わせるのか」「音楽全体をどんな景色として描くのか」
「そのためにどんな表現が必要か」「最大限伝えるためにどの成分をデフォルメするのか」
こうした「意思」や「理念」があるからこそ(奏者個人の美学ともいえるかもしれません)、一つひとつの奏法や表現に意味が生まれます。
技術を磨くことはもちろん大切ですが、その技術をどのような意図で使うのかを考えられるようになったとき、演奏は単なる音の再現ではなく、自分自身の音楽として聴き手に届くようになります。
